第6章 放射能調査
§2 31年度までの活動状況

 わが国の放射能調査の問題は29年に始まる。すなわち,同年に行われた米国のビキニ環礁における原爆実験が直接わが国のマグロ漁業に多大の損害を与えたこと,および第5福竜丸が太平洋上で死の灰を受けたこと等により,この放射能の問題が大きく,クローズアツプされたのである。
 したがつて政府としては,このため原爆被害対策に関する調査連絡協議会を設置すると共に,現地の放射能調査を行うため,俊鶻丸を派遣した。

2−1 第1回丸俊鶻の調査

 この調査は29年3月1日のビキニ環礁での米国核爆発実験に対し,同年の実験終了後約2ケ月たつた5月15日から7月4日にわたつて行われたものである。この調査の目的は,ビキニ海域における気象,海況,雨水,降塵,海水の人工放射能,プランクトン,魚類の人工放射能の影響および汚染,放射性汚染魚体中に含まれる放射性物質を調査することにあつた。よつて大学,国立試験研究機関等の参加のもとに現地調査を行い,さらに持ち帰つた試料について詳細な検討が行われた。
 この第1回の調査結果からみても,この調査によつて問題を解決したというよりは,今後の研究にまつ点が多かつた。一方第5福竜丸が受けた灰についても国内で平行して研究が進められた。
 以下第1回俊鶻丸の調査した結果を述べる。
 福竜丸事件に強く刺戟されたため,調査に当つて,初めのうちは空気および雨水の放射能に対して大きな関心が寄せられた。しかし調査が進むにつれてその対象は空気や雨水から海水魚類へと移つていつた。
 調査当時はすでにビキニ環礁附近の空気は旧に復していて,空気の放射能は殆ど検出できなかつた(1CPM/m3以下)。降下塵埃の放射能は,300CPM/weekでおつて,この値は日本国内での観測値に比べて決して多いとはいえない。
 これに反して,雨水では5月22日に17,400CPM/l,同25日に17,400CPM/.l 6月1日に4,OOOCPM/lと比較的大きい値を示した。これと前後して日本各地では上の数字よりはるかに大きい数千ないし数万CPM/lの放射能を雨水から検出した。すなわちこれらの結果をみると,この頃はすでにビキニ環礁から噴き上げられた放射性塵がビキニの上空を離れて大気上層に移動しつつあつたと考えられる。
 またウエーキ島の植物を採取して灰化し,測定したところ5,500CPM/10gを検出した。同じ頃内地の植物では150CPM/10g以下であつたから,植物の放射能ではこの辺は内地より強いということがわかつた。
 海水の放射能汚染は予想外に大きかつた。ビキニ環礁の東北東800km附近が最も顕著な放射能(450CPM/l)を示し,次いで西北西方向では中心から約2,000kmまで,やや顕著な放射能(100CPM/l)を見たが,西南西では1,000kmくらいまでしか達していなかつた。これらは海流の関係でおることが分つた。また海水中に溶出する放射性物質は海深100mにまで及ぶことがわかつた。なお分析の結果,海水の放射性物質はY91.Ce141.Ce144.が多く,Zr95はかなり少なかつた。
 一方プランクトンは,核分裂生成物により強く汚染され,同一地点の海水や魚類よりはるかに強い放射能を示した。すなわち最高は7,000CPM/gで,おおむね1,000CPM/g以上が大部分を占め,その値は海水に較べ同じ目方にすると大体1,000倍から1万倍の汚染度を示した。
 最後に魚類の放射能汚染であるが,ビキニ環礁近海で漁獲されたマグロ,カジキ類ではほとんどすべての個体が,体のいづれかの部分に1,OOOCPM/g以上の放射能を有し,地域的には海水わよびプランクトン等の汚染状態とほぼ一致した変化を示していることが明らかになつた。また魚の器管別に汚染状態をみると腸内容,幽門垂,肝臓,胆汁等の消化器管や内臓の汚染が高く,筋肉の汚染は低かつた。なお汚染魚類の化学分析において当時予期していなかつたZn65を分離確認したことは,第1回の調査の大きな収獲であつた。

2−2 第2回俊鶻丸の調査

 続いて31年1月12日,米国政府はこの春マーシヤル群島,エニウエトツクおよびビキニ環礁附近を実験場とし,核爆発実験を実施するについて危険区域の設定を発表した。そこで原子力委員会は,,核爆発影響の調査研究は今後の原子力平和利用に伴う放射線障害防止に資するところ少からずとし,,との機会に国家的規模においてその影響について調査研究を行うことが適当でおるとの見地から,調査の総合企画を推進することになり,日本学術会議および運輸,厚生,文部,外務,農林などの関係各省庁の参加が求められ,特に技術顧問団が結成された。この調査船派遣の技術顧問団によつて準備が進められ,前回の経験を生かして短詩日に調査を行うべく5月26日に再び俊鶻丸が派遣され,36日間の航程で6月30日帰港した。
 この第2回目の調査の目的は,核爆発実験の初期に,危険区域の西方外側海域の大気,雨水,海水,および魚類その他の生物に合まれる放射能の調査,バツクグラウンドの調査,乗船員保護の見地から船体が浴びる放射能と船体汚染事情などを明らかにする環境衛生上の調査,放射性物質を運搬する気流,海流の状況を明らかにする気象および海象の調査などのテーマについて放射化学,気象,海祥,環境衛生,生物,漁業などの分野においてそれぞれ専門の立場から総合調査を行い,実験で生じた放射能の性状と線量および初期汚染の経路とその度合などを把握することが目的であつた。
 29年の調査(第1回の調査)では,ちょうど核爆発実験が終つて危険水域も解除されてからおこなわれたもので,ビキニ環礁附近の汚染の状況をかなり詳しく知ることができた。その結果当初全く予想しなかつた顕著な汚染海域と生物汚染の実態がわかつたのでおる。
 しかし,31年の調査(第2回の調査)は核爆発実験の初期に行いかつ,調査の範囲を危険水域の西方外側を探つたほか,種々の事情から航海期間が短かかつた関係もあつて,結局この調査は核爆発実験が,危険区域の西側にもたらした断面的一時的な核爆発初期の影響について調査したに留まつた。目下調査の総合的成果については検討中であるが,船上でのデータおよび試料より判断すると第2回の実験は上層大気における核爆発実験であつたため,その海域における放射能汚染は第1回に比して低いが,その汚染地域が広範囲に及んでいることが判明した。
 なおいままでに発表された船上調査の報告を基礎にして概況を述べれば次のとおりでおる。

(1)海水の汚染
 第2回目の調査においては,前述のとおり調査の時期が一連の燥発の行われている期間内であつたため,大気の汚染ど海水の汚染とは,その状態が一致していた。前回は爆心から海流によつて流出したものが主であつたのに対し,今回の海水の汚染は,空気によつて運ばれた落下塵が主体であつたと考えられた。すなわち海水の汚染濃度は第1回に比しほぼ1桁低い値(高い値が50CPM/L平均25〜28CPM/L)であつた。この値を直接前回の汚染濃度と比較するには,放射能減衰,調査の時期,その他の条件を考慮する必要があるので一概にはいえないが,低い値を示したことは確実でおる。第2の相違点は,前回では北赤道海流に人工放射能を検出し,南赤道海流では検出できなかつたが,今回では北赤道海流のみならず南赤道海流でも検出された点である。

(2)プランクトンの汚染
 プランクトンの汚染が海水の汚染と密接な関係があることは,第1回の調査と同様であつた。しかし危険海域に入らなかつた関係もあつて,最高2,500CPM/g,平均4〜500CPM/gであつて,第1回調査より低い値を示しているが,海水の汚染度との率はむしろ高い。なお二回にわたる調査でプランクトンの汚染が海水汚染度の有力な指標となることが判明した。

(3)魚の汚染
 魚体内部の汚染状態は前回の調査時に似て消化管,内臓の汚染が強く,皮,骨,筋肉の汚染は弱かつた。イカの放射能は生物中最も強く,数千CPM/gであつて,しかも肝臓に限られていた。したがつてイカは汚染海水の有力な指標でおるばかりでなく,これを主食とする大型魚の汚染源として重要な意味がある。核種分析においては,前回で見られたZn65,Fe55,Fe56の外にCd113m,Cd115,Ba140,La140が新しく追加発見されたが,放射能濃度としてzn6r′を基準としても,放射能の全般からみても前回よりは低い傾向にあつた。
 とくに危険なSr90については,前回の調査においてマグロ100検体中1例が筋肉に極めて徴量認められたが,今回の調査ではマグロの骨について調べたととろ,筋肉中に含まれる場合に換算すると全般的に前回より低い傾向にあつた。

(4)その他
 調査船の派遣と平行して,核分裂生成物等が魚体内にどのような経路でどの器官へどんな速度で分布するかの研究が主として大学において行われ,Ca45,Sr90,Zn65は魚のエラを通じて魚体内の血液中へ敏速に多量入るととや,海水魚と淡水魚とでは,その生理作用がかなり異ることなが明らかとなつた。
 その他31年度には,国内では気象庁が積極的に大気放射能(主に落下塵埃,雨水)を測定し,農林省,厚生省等の試験研究機関が,野菜,穀類,茶,牛乳,雨等について随時放射能の測定を行つた。
 この第2回目のビキニ環礁における核爆発実験と前後してソ連でも核爆発実験が盛んに行われたため,従来の南方海域に重点をおいた調査からわが国本土および周辺の放射能汚染が問題となり,その調査の必要性に迫られたのである。すなわち上層大気中の核爆発は,その実験地域のみならず,わが国にも影響するところが大きく,特に大気,地表,植物等の放射能がかなり増大してきている事実が明らかになつた。
 この状況に鑑み,原子力委員会では,放射能がわが国の国民生活に重大な影響を及ぼすものでおり,わが国の原子力の平和利用の推進にも関係するところが大きいので放射能調査の重要性に着目し,31年10月従来の暫定的各機関がばらばらに実施していた放射能調査について,体制の整備と常時観測網の樹立を図ることを申し合せた。


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