第1章 原子力基本法の制定まで
§1 原子力問題の論議

 わが国における原子核物理学の水準は高く,戦前から理論,実験の各分野において多大の貢献をなしてきたことは広く世界に知られているところであるが第二次世界大戦によつてこの分野の研究は中断され,引き続く戦後の混乱のために前後10年間にわたる研究の空白状態を余儀なくされた。しかし26年日米講和条約が締結されるにおよび,原子力研究に関する調査を開始したいという機運が起つた。
 この原子力研究の問題はわが国学界の大きな問題として論議され,日本学術会議ではこれを議題として27年秋の第13回総会に提案されたが,当時としては原子核の学術的研究は大いに行うべきであるが,原子力の研究は兵器の製造に連る危険性があるからしばらく待つ方がよい,との意見が大勢をしめた。わが,国で「原子核研究」と「原子力研究」とが区別されて取り扱われるようになつたのはこの時に始まるといえる。
 日本学術会議においては,原子力研究に対する態度を検討するため第39委員会が設置された。この委員会では原子力に関する内外の情報を集めて討議が行われたが,28年末までには結論がえられなかつた。29年第3期日本学術会議の成立により,新しい第39委員会が設置され討議が始められた。この頃には世界の情勢からみて原子力の平和利用に関する認識も多少変つてきていたので,原子力研究について従来よりも積極的な方針がとられ,まず29年2月原子力研究開始の可否についての公聴会が開催されて各方面の学者の意見が開陳された。この公聴会においては従来の空気にくらべて積極的な意見がふえていることが認められた。
 ところで,原子力の開発を早急に行うべきであるとの意見は国会方面において強調され,29年の第19国会に,自由党,改進党,日本自由党の三派による予算修正案として2憶5,000万円の原子力予算が提出された。これに対し日本学術会議から「原子力の研究は重大ではあるが,準備の整わぬ今日,しばらく待ち,その予算は経費削減によつて困難に直面している原子核研究所にまわしてほしい」という主旨の申入れが国会に行われたが,原子力予算は29年3月国会を通過した。ここにわが国最初の原子力予算は成立して,わが国の原子力の研究,開発および利用はその第一歩を踏み出すことになつた。
 日本学術会議第39委員会においては,原子力予算が成立した以上,原子力研究の遂行に遺憾ないよう努力すべきであるとの態度をきめ,4月20日からの総会にはかつた。総会では激烈な論議のすえ,第39委員会提案による二つの決議が可決された。
 そのーはビキニ事件に言及し,原爆実験の禁止について世界各国の科学者の協力を求めたものであり,その二は平和目的の原子力の研究について,次の三項目の実行を求めたものである。
 この公開,民主,自主の三つの項目は日本学術会議の原子力研究の三原則といわれるようになつた。この三原則は幅の広い表現であるため論議の対象となり,反対意見もあつたが,後に原子力基本法にとり入れられ,わが国原子力開発利用の基本方針となつた。


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