第1章 国民の信頼回復に向けて
3.原子力開発利用に対する国民の不安と不信

(1)国民の不安と不信の構造

 国民の原子力に対する不安感、不信感の背景には、技術的「安全」と意識としての「安心」の乖離、閉鎖的体質に対する不信感、原子力政策の未解決の諸問題に対する疑問や不安などがあげられます。これらを解消するためにも、原子力関係者は常に国民的な視点を見失わないことが重要です。

前節まで、過去1年余にわたる「原子力開発利用を巡る動向」や「動燃問題と動燃改革」を取り上げてきた。「もんじゅ」事故を踏まえ、原子力政策に対する国民の理解と協力を得るべく努力が各方面でなされている中で、動燃問題は、国民の原子力開発利用への不安感や不信感を高め、これが、核燃料サイクルの確立を基本とした我が国の原子力開発利用の円滑な推進に少なからぬ影響を及ぼしたことも事実である。本節では、改めて、この国民の原子力開発利用に対する不安、不信の背景・要因に立ち返り、その解決に向けた対応を紹介し、また、今後の課題を考えてみたい。
「もんじゅ」事故を契機に高まった国民の原子力開発利用への不安感や不信感の背景・要因には、
 ①専門家が主張する技術的「安全」と、国民の意識としての「安心」との乖離に起因する、原子力の安全一般に向けられた不安感
 ②動燃の閉鎖的体質への批判や情報公開の徹底を求める声に象徴される原子力行政への不信感
 ③原子力政策の未解決の諸問題や将来像に対する国民の疑問や不安などがあげられる。
 さらに、規制緩和や、情報公開等行政システムの在り方が国民の関心事となっている今日の状況が、原子力開発利用に対して抱いていた国民の疑問や不信を浮き彫りにさせた面も否めない。
 以下、特に上記①から③について記述する。

①安全と安心のはざまで
 動燃の一連の問題は、原子力の安全性に対する国民の不安感や安全確保体制への不信感を惹起した。動燃の一連の事故及び不適切な対応により、公衆が放射能による被害を受けたり、災害に発展するという事態が起こったわけではないが、国民の原子力に対する理解を得るためには、こうした技術的な「安全」の確保は当然のこととして、同時に「安心」を確保しなければならない。
 国民の多くが、放射線・放射能という「非日常的なもの」を伴う「巨大科学技術」である原子力に対して、少なからず潜在的な不安を抱いていることは事実である。そのような中で、「ナトリウム漏えい」という非日常的な事故が起きたり、「再処理施設」という核燃料サイクルの要となる施設で火災爆発が起こったということは、いかに安全が確保されていたとしても、国民には安心感をもって受け止められる事態ではなかった。
 同様のことは、現在の軽水炉による発電量の約3分の1が、ウラン燃料の核分裂反応に伴って生じたプルトニウムによる同一炉内での核分裂によるものであるにもかかわらず、再処理により分離したプルトニウムを軽水炉において使用すること(プルサーマル)に対して国民が不安感を抱くことなど、原子力開発利用全般に見られるが、これは、専門家の理解する技術的「安全」と国民の意識としての「安心」に乖離が生じている結果と考えられる。また、原子力防災について体制強化を求める声も、地元における類似の住民の意識に起因する面もあると考えられる。
 さらに動燃に関して言えば、これまで立地地域を中心に安全性を強調するあまり「事故はいつでも思わぬところで起こりうるもの」との意識が希薄なものとなっていなかったか。高速増殖炉懇談会報告書はこの点に関し、「研究開発の途上にある技術に対しては、事故は起こらないという態度で臨むのではなく、事故はいつでも思わぬところから起こりうるものであるから、その発生を未然に防止するための注意を持続しつつ、万全の対策を講じるとともに、仮に起きたとしても人体・環境への影響を与えないようにするという、謙虚かつ懸命な姿勢が必要です」と述べているが、特に原子力の研究開発に携わる関係者は、この指摘を改めて真摯に受け止めなければならない。
 このような国民意識の現状と動燃問題からの教訓を踏まえれば、原子力開発利用に携わる者は、常に国民的な視点から自らの行動を考えることや意識の改革に努めることが求められていると言える。

②閉鎖的体質と情報公開
 動燃問題を契機に原子力行政に対する国民の不信感が広まった一つの要因は、動燃が核燃料サイクル政策を遂行する中核的研究開発機関であったことが上げられる。中核的研究開発機関であるが故に、国民から負託された責務は大きく、当然、他の機関にもまして、高いモラルと規律を国民は期待していた。また、自主、民主、公開の原則に則って遂行されるべき原子力開発利用において、公的機関である動燃が不祥事を重ねたことも不信感を増大させた要因である。国民の目に動燃の姿は、核燃料サイクルの研究開発を任せるに足る「優秀な技術者集団」ではなく、虚偽報告や隠蔽工作という「閉鎖的体質」を有する組織と映った。「もんじゅ」事故の際にも、事故現場の「ビデオ隠し」が問題となり、この閉鎖的体質に対して社会の大きな批判を招いたが、火災爆発事故に際しても教訓として生かされなかった。そして、この動燃の閉鎖的体質は、他の原子力界にも共通するのではないかと受け止められた。
 動燃の「閉鎖的体質」、「社会との乖離」は、動燃改革委員会においても指摘された。動燃の扱ってきた技術・情報や活動の一部には、核不拡散や核物質防護の観点から特別な配慮が必要な場合がありうる。それらの場合、国際的なルールに従うべきことは論を待たないが、この点が必要以上に強調され、情報公開への取り組みの遅れや、職員の情報公開マインドの醸成に影響を与えたとの指摘がある。ややもすれば外界との接点は乏しくなりがちになるが、外界からの反応を得る上で必要な情報発信という手段に必要以上に制約を加え、自らを殻に閉じ込めていたとすれば、原子力開発利用に対する国民の信頼を得ることが困難であるばかりか、他の技術分野との交流の方途までをも閉ざすことになりかねない。
 我が国は、原子力開発の初期の段階から、原子力基本法において、「公開」を原子力平和利用の一つの柱に据えてきた。情報公開は、原子力平和利用に対する国民の理解と信頼を得るための手段として必須のものであり、また、情報公開を通じて、はじめて国民・社会を始めとする外界からの反応を得ることが可能となる。さらに、グローバルな観点からも、国際社会の理解を得つつ、閉鎖性を打破し、積極的に情報を発信していくことは、動燃のような研究開発組織にとって、今後ますます重要となろう。
 原子力委員会では、「情報公開と政策決定過程への国民参加」に関する原子力委員会決定(1996年9月25日)において、「原子力開発利用に関する情報は原則公開」との方針を改めて確認した。原子力開発利用に携わる関係者は、「もんじゅ」事故など動燃の教訓を踏まえ、情報公開が適切に行われているかどうか、今一度省みることが重要である。
 同様の措置は、原子力安全委員会や行政庁においても取られつつあり、また、動燃においては、「もんじゅ」事故などの反省を踏まえ、1997年6月30日に「情報公開指針」を策定し、その保有する研究開発情報を中心に順次公開の手続きを進めるなど、原子力の情報公開は着実に浸透しつつあるといえる。
 今後とも、国民の安心感、信頼感の醸成のためには、安全の確保はもとより、安全性を中心とする情報公開への取り組みの一層の充実、わかり易い情報の提供について、原子力関係者の努力が重要である。


動燃ホームページ  http://www.pnc.go.jp

図1-3-1 インターネット動燃ホームページ

<内容>
・どうねんニュース
・アスファルト固化処理施設事故について
・新型炉「ふげん」関連情報
・高速増殖原型炉「もんじゅ」関連情報
フリーダイヤル:0120-234601(FAX)
図1-3-2 どうねん情報ボックス

③原子力政策に対する潜在的不安の顕在化
 動燃問題による原子力への国民の不安感や不信感の背景に、原子力政策自体に対する国民の潜在的な不安や疑問が存在するとの指摘がある。
 我が国は、1956年以来、長期計画に基づき、原子力開発利用を着実に推進してきたが、40年余が経った今日、国民の目には原子力開発利用の均衡ある発展は必ずしも図られていないと映っていることも事実である。
 例えば、残された重要課題の一つに、高レベル放射性廃棄物の処分問題があるが、高レベル放射性廃棄物処分懇談会報告書においても、これまで、稼働している原子力施設の安全性の確保や、電力を安定供給するという観点から、原子力発電所の立地に重点を置いてきたため、廃棄物処分問題に対する対応が十分でなかったことが指摘されている。
 こうした問題に加え、長期計画に位置づけられた新型転換炉実証炉計画の中止などに対して、国民が不信を抱くなど、原子力政策に対する国民の信頼が揺らいでいるように見える。
 さらに原子力先進国として、自らフロンティアを切り拓かねばならない状況に我が国が置かれていることが、国民に原子力の先行に不透明さを感じさせている。例えば、フランスが、高速増殖実証炉スーパーフェニックスの放棄を決定する中で、なぜ我が国は高速増殖炉開発を進めるのか、といった疑問である。高速増殖炉懇談会では、まさにこのような国民の疑問に答えるべく議論を尽くし、その結果、高速増殖炉の研究開発を進めることは、将来のエネルギー確保の観点のみならず「我が国社会の人類に対する義務」との認識が多数の意見として示されたところである。
 こうした国民の潜在的な不安感などに答えていくためには、原子力の全体像を国民の前に示す中で、今何が問題であり、どのような解決を目指すのかを国民に明らかにしていく必要がある。また、その過程では国民的視点に立った議論を十分尽くすことが重要である。
 このような認識の下、原子力委員会はこれまでも節目節目において、原子力開発利用の進め方に関し、委員長談話や原子力委員会決定の形で国民に示すよう努めてきたところであるが、今後とも、原子力開発利用を巡る諸情勢の変化を踏まえつつ、適時的確に国民の疑問や不安に応えられるような政策の展開を図ることが重要である。


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